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Estrellas y Borrascas

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アマダブラム④遠い頂

標高6300m、深夜のC3。
突然の轟音に驚いて飛び起きた。
「雪崩だ!」
自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じる。そして静寂に包まれた。安堵の溜息をつくと同時に、再び起こるかもしれない雪崩に対する不安が生じる。私は疲れていた。寝かせてくれ。気づかぬうちに再び眠りに落ちる。そしてまた轟音で飛び起きる。頭上にある懸垂氷河の周辺で雪崩が起こってるのは間違いない事実で、このキャンプが雪崩の餌食にならないという保障はない。昨秋、ドイツ人とシェルパの計6名が、この場所で雪崩の犠牲になっている。雪崩の轟音と静寂というパターンを四、五回、繰り返したのではなかろうか。
恐ろしい夜だった。

朝、シェルパたちの話し声で目が覚めた。
今日は頂上アタックの日だ。5人の「ボーイズチーム」のメンバーの何人かは素早く出発の準備を整えている。登り5時間、下降2時間の計7時間でC3と頂上とを往復できるとふんでいた。「隊員」であり「クライアント」である私たちは「登ること」しか頭にない状態だ。先ほどから話をしていたシェルパたちの輪の中からデンディがやって来て、訴えるような表情で「ここにいては危ない。下山しましょう」と懇願してきた。無線で状況を聞いたティムから下山指令が下った。ティムの下山命令は皆の命を預かるガイドとして当然のことだろう。無線の向こうでティムが"apologize"と言っているのが聞こえた。最終キャンプにいる登頂意欲の旺盛なクライアントに「下山」を命じることはガイドとして辛いことであったろう。「ボーイズチーム」の年長者で最も実力のあるリーダー的存在のヒューゴが「ティム、俺たちは満足しているよ。apologizeなんて言わないでくれ」と応答しているのを聞いて、涙が溢れてきた。目前にある頂上にアタックせずに下山するのがこんなに辛いことだとは思っていなかった。下山すべきだと分かっていても自分の欲望を満たすために最後の雪壁に向かって突入して行きたい気分だった。実際、誰かが制止してくれなけば私たちは、そうしていただろう。現実を受け入れなければならないことは分かっている。ティム、あなたは正しい。私も満足しているよ。
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下山が決まるとシェルパたちは素早くテントの撤収にとりかかった。
今日はC1まで下りる予定だ。皮肉なくらいに晴れ渡った青空の下、眩いばかりの陽光を全身に浴びながら、眺めの良いマッシュルームリッジを下降する。この1ヶ月のみならずアマダブラムに登ろうと考えてからの1年間あまりのことを回想していたらまた泣けてきた。泣いてはいるけれど、これは悔し涙ではない。この一年で多くの人と知り合えて、皆からエナジーをもらって、縁が無いと思ってたヒマラヤまで来てこれだけの経験をした。登頂できなかったという結果よりも、ここに至るまでに何と素晴らしい過程をたどってきたことか!高所で泣くと呼吸が乱れ、とても苦しかった。

登りの時とは対照的に景色を楽しむだけの余裕があり、写真をいっぱい撮った。
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しかし、このニコンの乾電池式のカメラは、どいういわけかピンボケばかりでイザという時に役に立たないシロモノなのであった。そのへんがなんだか自分自身に似ているようでもあり愛着さえ沸いてくるのであった。C1に近付くにしたがって疲労を感じ始めた。とにかく体力が欲しいと思った。「帰ったら体力!帰ったら体力!」と何度も念じた。帰国したら体力をつけるぞという意味だ。今度、アマダブラムに登る時までにはC2から頂上を往復できるだけの体力をつけておこう。
C1での夕食も、もちろんインスタントラーメンで済ませた。

翌日はBCへ。
何度も歩いたなだらかな稜線からBCが見えた時、相棒のリックが「BCが見えた!うまいメシが食えるぞ~」と涙声で叫ぶので、私まで泣きそうになった…(本当は私も泣きましたけどね)。リックはスポーツクライミングの経験はあるが、山に登るのは生まれて初めてというある意味すごい奴だった。貴重な体験を彼と共有できたのは嬉しかった。BCでティムや「エベレストチーム」、コックのシェルパたちに会うと、家に帰ったかのような寛いだ気持ちになった。深夜まで皆でワインをガブ飲みして過ごす。ティムから「皆には家族や友達やガールフレンドがいて、自分には君たちを無事に家に帰す義務があるんだ。君は分かってくれると思うけど、ガイドは時には臆病にならなければならないこともあるんだ。」と言われた。同じことをクライミングの師匠に言われたことがあったが、言葉では分かっていても本当に理解するのにずいぶん時間がかかってしまった。
この夜がBC最後の夜になった。

その後、ナムチェに2泊、ルクラで1泊しカトマンドゥに戻り、ピークフリークス登山隊アマダブラム2007チームは解散となった。

アマダブラムのノーマルルート(南西稜)は比較的安全なルートと言われてきたが、近年、上部にある懸垂氷河周辺で雪崩が多く発生しているようだ。BCでの吹雪などのことも考えると温暖化による異常気象が原因かもしれない。ティムはこの10年、ヒマラヤに通っているが来年のアマダブラム隊の募集を中止するつもりだという。トレッキング中、パンボチェでラマ僧に安全祈願のお祈りをしてもらった時にティムが言っていたことを思い出す。アマダブラムはその特徴的な山容ゆえシェルパたちから「聖山」として崇められてきた。昨年の事故以来、地元に暮らす敬虔なシェルパたちの間には20年以上前と同じような考えが芽生え始めた。「聖山に登るとタタリがある」という考えだ。登山者に山を開放すれば貧しい村々にもカネが落ちることになるから仕方なく山を開放することに同意しているのだという。

シェルパの人々に登らせていただいていることを忘れてはいけない。

私たちがBCを去った後、日本隊を含め登頂に成功した隊がいくつもあったことは知っている。登れた人も、登れなかった人も、それぞれ違う思いを抱いて下山したと思う。シェルパたち同様、私にとってもアマダブラムは聖山であり続けるだろう。私の高所登山はアルパインスタイルだとか酸素ボンベだとかいう世界とは程遠い内容だけれども自分の理想に少しでも近付くための努力だけは積み重ねていこうと思っている。そして隊長のティム・リッペル、隊員の仲間、クライミング・シェルパ、サポートスタッフの皆さん、心の支えになってくれた日本の友達に心から感謝している。


以上でアマダブラム登山の報告は終わりです。
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# by huascaran | 2007-09-05 21:00 | 海外 Overseas | Comments(0)

アマダブラム③CAMP3へ

アタックに向けてBCを出発する前日、BCでは思わぬ風雪となった。わずか4、5時間の風雪だったにもかかわらず四方八方で「ドカーン、ドカーン」と大砲のような雪崩の崩れ落ちる轟音が鳴り響いた。BCのある谷底はとても広い平地になっていて、ここまで雪崩れてくるようなことはなく安全だ。しかし上部キャンプにいるシェルパたちは大丈夫だろうか?そんな心配をしている間にも絶え間なく雪崩が発生しているのだ。夕方になってテントに吹き付けていた風雪が止んだので恐る恐るテントの外に出てみると、夕日に照らされた一帯は巨大な雪原になっていた。
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いい年をした隊のメンバーが「スノーボールだ~!メリ~クリスマス!」などとはしゃいで雪合戦が始まる。君たちは、なんて気楽なんだ!持ってる遺伝子が違うのだろう…。

「まさかの風雪」から一夜明けた朝、C1にいたデンディ・シェルパから普段と同じ声の調子で「フィックスが凍り付いていてスラブはツルツルだ~」と無線連絡が入った。天気は快晴だった。私たち5人(30代4人、40代1人)の「ボーイズチーム(!)」は60代2人の「エベレストチーム」と隊長ティムに見送られてBCを出発した。出発の日をいつにするかは私たち自身が決めた。待ち続けて時間切れになるくらいなら先に進みたいというのが「ボーイズチーム」の結論だった。

ABCまでの道のりはスノーハイキングになった。雪化粧の厚くなったアマダブラムはいつもにも増して美しくかった。C1へのボルダー帯のスクランブルには毎度、辟易していたが、今日は先行している他のチームのトレースが雪のところについていてルートファインディングの手間がかからない。フィックスロープの始まるスラブはデンディの言っていたとおりツルツルになっていてフィックスなしでは恐ろしかっただろう。C1に入り暖をとってから湯をつくり、それを細かく砕けてしまったインスタントラーメンに注いで夕食の出来上がりだ(※チキンラーメンではありません)。あっという間に食事を済ませて就寝。脚は遅いが食事を作るのはとても早い。こういう時、味音痴は有利だ。

翌日はC3へ。C2までは2回往復しているのでルートは分かっているのだが、今日は要領が違った。アタックに必要な装備一式、スリーピングバッグとマットレス、水を多めに背負っている。雪も付いている。条件がちょっと変わっただけでこんなにも苦しいものなのか…。いっぱい飲むことになると思って水を3リットルも背負ってきたのは阿呆だったと後で後悔した。低酸素はあなどれない。僅かな重量も、僅かな傾斜の違いも身体能力に大きな影響を与えている。イエロータワーを手足のホールドだけを使って登るなんてことは考えず、最初からユマーリングだ。ユマーリングでギコギコ登るのも大変な動作だ。「ヨイショッ」と立ち込むと同時に数十センチ腕を伸ばし、腕力で体重を牽きつける。上昇するごとに全身の血液から酸素を奪われていく感じだ。こんな場所をフィックスロープに頼らずエイドも使わずに登れる力を持ったクライマーがどれほどBCにいるのだろう?

狭くて屎尿臭いイエロータワーの頂上(C3)に腰を下ろして小休止するがのんびりしてはいられない。今日はC3まで上がるのだ。イエロータワーの次は氷雪の詰まったクーロワールが延々と続いた。
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実際には「延々」とは続いていないはずなのだが6000mを越えてからのバーティカル(…に感じてしまう)な登高は私にとって「御仕置き」を受けているのに等しかった。「ぐるじい~(苦しい~)、、、この苦しみがやがて喜びに感じられるようになるのかぁ?」と考えてみたが、やっぱり苦しいものは苦しいのであった。クーロアールを無我夢中で登ってきたがマッシュルームリッジに出て我に返ると、南側に横たわっているMalanphulan(6573m)という氷河を抱いた美しい山の山頂と自分の高度が同じぐらいに感じられ嬉しくなった。
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しかし、リッジを登っている最中に日没を迎えてしまった。C1を出発したのが遅かったことやイエロータワーでの順番待ちが響いた。さっきまでは暑いくらだったが、急激に気温が下がって今度は恐ろしく寒い。ダウンジャケットを着込んでヘッドランプを点灯させて先へ急ぐ(…と言っても実際には急げない)。暗闇の中、いつ着くとも分からないC3を目指すのは精神的に苦痛だった。リッジの傾斜が緩やかになるたびに「今度こそC2に出るに違いない」と何度思ったことか。結局、7時過ぎに6300mのC3に到着。テントに入ってしばらくスリーピングバッグをかぶってボ~ッとしてから、いつものようにインスタントラーメンにお湯をかけたものを胃に流し込み夕食終了。その後、すぐ横になった。体は疲れていたが「今日は頑張ったな~、頂上はもう目と鼻の先だぞぅ~」と気分は上々であった。

疲労もあってすぐに眠りに落ちたのだが、深夜、恐ろしい雪崩の轟音で何度も飛び起きるはめになる…。

To be continued...
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# by huascaran | 2007-09-04 21:00 | 海外 Overseas

アマダブラム②高所順応の日々

チョーユーから帰ってきたばかりのデンディ・シャルパたちによってルート工作が進められる一方で私たちは登攀道具、テント、ロープなどの荷揚げをしながらベースキャンプ(BC、4600m)~アドバンスドベースキャンプ(ABC、5200m)~キャンプ1(C1、5500m)~キャンプ2(C2、5900m)を2回往復し高所順応を行った。

ルートはこんな感じだ。

BC~ABC。なだらかな稜線上に明瞭なトレールがある完全なハイキング。BCから600m標高が上がると山頂がかなり間近に感じられモチベーションも上がった。
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ABC~C1。ボルダー帯スクランブルの後、傾斜の緩いスラブを登る。普段なら鼻歌まじりにスタスタ登れるような斜面のはずだが、順応できていない体にはこたえる。ここにはビニールひものようなフィックスロープが設置されているがシーズンが終わるころにはボロボロになっていることだろう。スラブを登りきればC1。
C1~C2。南西稜の南側をトラバースぎみに進んでからグレイウォールと呼ばれる20mほどの岩壁を登り稜線に出る。
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そしてイエロータワーと呼ばれる30mほどの岩塔を登る。
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イエロータワーの頂上がC2だ。「画」になるロケーションなのだが、非常に狭くテントを設営する余地のない場合も多い。そしてし尿の臭いがする。ちなみに私たちの隊はアタック時にはC2を通り越してC1からC3まで登ることにしている。

C2から先はアタック時に経験することになる。
C2~C3(6300m)。雪と氷の詰まったクーロワールの後、最終キャンプとなるC3までマッシュルームリッジが続く。
C3~山頂(6850m)。50度くらいの氷雪。

という具合だ。

ピークフリークス隊はエベレストを目指している人たちのためのトレーニングチームでもあるのでBC付近の岩場でユマーリングやセルフビレイ(日本でいうプルージックやオートブロック)をとりながらのラッペリング、アマダブラムでは使わないが酸素ボンベの使用法、ガモウバッグの使用法などのインストラクションを受けた。今回のように積極的にユマールやフィックスロープを使ったことのない私には「わかってるようで、わかっていない」ことを一から教えてもらえてる良い機会になった。

キャンプ間の往来を繰り返しているとコースタイムは確実に短縮されてゆくのだが、「上へ上へ」行きたい気持ちを抑えていると、建設的なことをしている気分になれずなんとも歯がゆかった。

そして、アタックに向けてベースキャンプを出発する日の前日、私たちを待ち受けていたのは吹雪であった。

To be continued
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# by huascaran | 2007-09-03 21:00 | 海外 Overseas | Comments(0)

アマダブラム①カトマンドゥ~ルクラ~アマダブラムBC

アマダブラム登山を終了しポカラにやってきました。登山の模様を大雑把に書いていきたいと思います。

初めての土地に知り合いがいるというのはありがたいことで、カトマンドゥでは、この夏、北海道や東京で一緒に働き仲良くなったネパール人の友人に再会し観光や食事をしてリラックスさせてもらった。

5日間のカトマンドゥ滞在を楽しんだ後、ピークフリークス・アマダブラム登山隊に合流した。カナダ人では数少ない高所登山ガイドの一人でもある隊長のティム・リッペルはエベレストのチベット側スキー初滑降やカナディアンロッキーのロブソン北壁初滑降などとんでもない記録を持っている。彼とは今回が初対面なので「どんなクレージーな人なのだろう?」と緊張して顔を合わせたのだが想像に反して知性的で気さくな人だった。そして、この旅が終わる頃にはすっかり友達になっていた。

カトマンドゥのホテルに9人のメンバーが勢揃いした翌々日にはトレッキングの起点になるルクラへと飛び立った。ちなみにトレッキングを開始してから登山を終えカトマンドゥに戻るまでイギリスのサイモン・イエーツ隊とほとんど同じ日程だったので各地でサイモン隊の面々と男だらけの合コンをした。サイモンは最近映画化された『Touching The Void(運命を分けたザイル)』の主人公の一人だ。ペルーアンデスのシウラグランデ西壁初登攀後に遭難しパートナーのジョー・シンプソンと結んでいたロープをサイモンが切って二人とも奇跡的に生還するという壮絶な話で日本を出発する前に原作の本を読み映画を見たばかりだったので不思議な感じだった。
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ナムチェではペーター・ハーベラーを見かけた。彼は自分のクライミングスクールの生徒たちとチョラツェに登りに来たらしい。うちらの隊のメンバーの一人が彼をペーター・ハーベラーだと知らずに話しかけて、別れ際に「Tim + Team, Do your best and success. Peter Habeler」と書いてくれたオリジナルのポストカードを受け取ったのだが、彼は「あいつは誰だ?」などと言う。この人は来春のエベレスト登山のためのトレーニングとしてアマダブラム隊に参加しているはずだが、ペーター・ハーベラーのことを知らないのであった。彼は裕福な元パイロットのアメリカ人で「無知で無邪気なアメリカ人」を地で行くような人だった。そしてベースキャンプにたどりつくことなく隊を去って行った。理由は「狭いスリーピングバッグの中で寝るのが辛い」だった…。後で知ったことだが、帰りはナムチェからヘリコプターをチャーターしてルクラまで飛んで帰ったらしい。
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話がそれたが、タムセルク、ローツェ、エベレストなど「世界の屋根」を代表する名峰を眺めながら歩いるだけでも楽しく、来て良かった思った。そしてルクラを出発して5日目、私たちは標高4600mのアマダブラムベースキャンプに到着した。氷河によって削られてできた谷はだだっ広く、野球場がいくつも入ってしまうほど広く開放的だ。午前中は必ずと言ってよいほど晴天に恵まれ、午後には霧に包まれる。
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これから3週間ほど、この谷が私たちの住処になる。このベースキャンプを起点にして高度順化を行い、アタックへと向かうことになるのだ。

To be continued
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# by huascaran | 2007-09-02 21:00 | 海外 Overseas | Comments(0)

アマダブラム 初めてのヒマラヤ登山に、いよいよ出発

ヒマラヤなんて遠い世界の話だと思っていたが何の因果か公募隊に参加してアマダブラムを目指すことになった。

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エベレスト街道からはっきりと見える牙のような山がアマダブラムだ。山名はシェルパの言葉で「母の首飾り」という意味らしい。エドモンド・ヒラリー(エベレスト初登頂者)率いるニュージーランド隊が1961年に初登頂に成功している。日本人の初登頂は1980年、北西壁新ルートからだ。85年春には山学同志会隊が西壁の新ルートから登頂、92年冬には山野井泰史さんが西壁を冬季単独初登頂している。

今回、私が挑むのは初登頂時と同じ南西稜。核心部はグレード5.7のレッドピラーと呼ばれる岩塔の登攀だが、六千メートルの高度で自分がどの程度、岩登りができるのかを確認することも目的の一つだ。頂上直下には55度の氷壁が延々と続く箇所があるというし、岩、雪、氷とバラエティーに富んだ興味深いノーマルルートだ。フィックスロープの存在によって滑落や墜落の危険が少なくなったことは確かだが、昨秋、最終キャンプ付近で雪崩が発生し6名が死亡しているし安全が保障されているというわけではない。

公募隊というと「初心者の大名登山」みたいなイメージがあるかもしれないが、メンバーは高所経験は少ないけれど、それなりの経験と実力を備えたアルピニストばかりのようだ。高所登山のタクティクスを学び、自分たちも加わってルート工作をするということがこの登山隊の趣旨でもある。

アマダブラムの結果によってこれから先の自分の進路も変わることだろう。登頂の成否は別にして、何かを感じて帰ってくることができれば大きな収穫だと思っている(って何かに書いてあったような…)。本物の低酸素状態をを楽しんでこよう。楽しみだなあ、低酸素!



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# by huascaran | 2007-09-01 21:00 | 海外 Overseas